初代音楽監督 岩城 宏之
2001~2009 / 石川県立音楽堂芸術総監督
1988~2006 / オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督
東京生まれ。1963年N響の指揮者に就任。国内の主要オーケストラ、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルなど世界の名だたるオーケストラを客演指揮した。石川にオーケストラを作ろうと尽力し、88年に国内初の本格的なプロ室内管弦楽団であるOEKの設立に貢献、初代音楽監督に就任した。「オーケストラにとって最後の楽器はホールだ」との信念のもと、OEKの活動拠点となる石川県立音楽堂を開館に導いた。2003年日本芸術院会員。母は金沢で育ち、父は富山に生まれ、金沢にあった旧制第四高等学校を卒業。自身も空襲で金沢に疎開し、金沢第一中学校に半年間通った。
―ここでしかできない「壮大な実験」を
ぼくたちは2001年9月に開館してから西洋と東洋の音楽を同じ建物で、それも最高の条件で演じていくという、世界で初めての「壮大な実験」を試みているといってもいい。この素晴らしいホールを世界中、持ってまわることはできないので、よそから金沢に来ていただき、その良さを体験してほしい。
1988年、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の設立時から専用のホールをもとめ、夢見てきた。この夢がかなったからには、世界一流の音楽を提供していかないといけない。OEKの演奏には、さらに厳しい目と耳が向けられるだろう。世界中のアーティストが、この音楽堂で演奏したいと思わせることができればいい。
石川県にはとても文化を寛容に受け入れる土壌があるように感じる。オーケストラや音楽堂を作ることができたのもこの素晴らしい環境があってこそである。これからこの音楽堂を世界的な音楽の殿堂に作り上げていくには、ここでしかできないこの壮大な実験をし続け、新しいことを創り出していかなければならないだろう。2001年9月は世界の音楽元年であったと後世の人々が語れるように。
(2003年発行、CADENZA創刊号インタビューより抜粋)